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大不況のとき、発達障害(ADHD)でクビになったシステムエンジニアが夢をつかむまで

この記事は、リーマンショック(2008年11月頃)が発生して、世界中の景気が悪かったときの話しです。筆者は、ADHD(発達障害)を持つシステムエンジニアです。

転職後、お客さん先でミスを繰り返し、2週間で「お前帰れ」と言われて契約打ち切られ、さらに所属していた会社までクビになってしまった。そこから復活し夢をつかんだ方法を述べます。

 

「夢をつかんだ!」というと、

 

 

(怪しい)ビジネスで月収100万円以上ゲットするようになった!
毎日が夏休み!

 

を連想しますが、ものすごい成功体験があるわけではないです。

そのような夢の実現方法を求めている場合は、この記事は参考にならないでしょう。

 

 

クビ(解雇)から復活までの簡単なフロー

 

まずは、転職→解雇(クビ)→無職→再就職→転職(復活)の簡単なフローを紹介

詳しくは、「筆者のエンジニアのクビから復活までのエピソード」のところで記述します。

 

  1. ゲーム開発の仕事がしたくなり30歳になって転職を考える
  2. 30歳になると転職が難しいと言われていたため、新しい分野の挑戦が難しくなる
  3. しかしそれでも、ゲーム制作会社、SNSの会社に応募しまくる
  4. やっとの思いで転職できたが、3ヶ月でクビになる
  5. 半年間の無職になる
  6. WEB開発に興味あり手取り12万以下、長時間労働のブラック会社に再就職する
  7. 再就職もつかの間、9ヶ月で体調を崩し退職・・・
  8. ついに、ずっと夢だったゲーム開発ができる会社に入社できた

 

 

夢をつかむのに大切なこと

 

これまでの一連の流れで学んだことは、以下のようなこと。

 

大切なこと

大切なことは自分の特性にあった仕事に就くこと

とくに、発達障害があるひとは、自分の特性を生かせる職場で無いと、仕事相手、自分とお互い不幸になります。

 

この記事では、

前半は夢をつかむための行動、後半は、筆者の体験談を踏まえて夢をつかむための具体的な行動を解説します。

 

 

夢をつかむための行動とは

 

発達障害(ADHD)の人が、夢をつかむにはどのような行動が必要なのか解説します。

 

向いていない仕事を辞める

向いていない仕事は、きっぱりやめることです。

ADHDの特性として、好きなことはのめり込んで作業できるが、嫌いなことは全くできないというものがあるからです。

 

好きなことを仕事にしない限りは、夢をつかめないといえます。

 

向いていない職場環境を離れる

自分が好きな仕事内容であっても、職場環境によっては、自分の特性を生かせいないことも多々あります。

 

ADHDに向いていると言われているシステムエンジニアも例外はなく、仕事環境によっては、特性を生かせません。

 

私の場合、複数人とやりとりしながら進める仕事だと、発達障害の特性が邪魔をしてうまく行きません。

 

特に、マネージメント業務が壊滅的で、メンバーの意見をまとめる、他部署、お客さんとの調整業務はまさに地獄でした。

 

私の場合は、コミュニケーションの数が少なく、1人で考えながら進める仕事が向いているようです。

 

 

仕事が見つからない間は、スキルアップする

仕事が暇、もしくは仕事に就いていないときは、スキルアップをします。

私の場合は、クビの間は、プログラミングスクールに通って、夢実現に必要なスキルを勉強していました。

 

 

なぜ、プログラミングスクールかというと、プログラミングスクールに通っていた方が、学ぶ範囲の無駄が無いこと、転職支援があるためです。

 

私は、クビになったあと、プログラミングスクールで60万使ったけど、4ヶ月ほどで回収できました。

60万円つかっていなかったら、今も、「仕事つまらねぇ」「人生オワタ」と述べていたことでしょう。

 

 

当時を振り返る日記:

この日記を書いているときは、再就職先が見つからず、やけくそになっていました。

【日記】「何もかも嫌になった」等という言葉は

 

 

現在は、2ヶ月もあればプログラミングスクールに使ったお金を回収できるようになりました。

 

 

筆者のエンジニアのクビから復活までのエピソード

 

では、転職→クビ→再就職→ゲーム開発の仕事までの体験談を述べます。

 

転職を考える

 

「夢を叶えるゾウ」がきっかけで、ゲーム開発の仕事をやりたいと思っていたことに気付いた。

 

 

ここまま、好きでも無いことをやっていてよいものか?

興味ないことをやっていても意味ないと思い、転職活動を開始するのであった。

 

 

転職活動では30歳での挑戦は難しいと言われる

転職エージェントをつかって、SNS、ゲーム開発メインで応募した。

そのとき、年齢は30歳だったため、ゲーム開発が未経験だったことから書類審査で落とされることだらけでした。

 

転職エージェントによっては、「ご紹介できる案件がございません」と門前払いされるところもあったくらいです。

 

転職活動開始して3ヶ月後にやっと、内定を頂くことができました。

その会社は、ゲーム開発専門では無く、「ゲーム会社の仕事も請け負っている」というような受注、技術者派遣メインの会社でした。

 

ゲーム開発会社ではないが、まずはゲーム開発の実績が必要だったので、その会社に入ることにした。

 

転職先の会社を使用期間3ヶ月でクビになる

転職した時期は、リーマンショックの真っ只中で世界的に経済が落ち込んでいた。

 

転職先の会社で、お客さん先に常駐することになった。そこは、チーム業務が多かった。特に、独特の仕様が覚えられないし仕事の進め方も理解できなかった。

人とのやり取りが、多すぎて、ミスを繰り返す。

ADHDにとっては、とてつもなく環境が悪い。

 

このときは、発達障害という言葉がなかったので、自分の努力不足だとずっと思っていた。空回りすることが多かった。

 

今だったら「仕事環境が悪かったから仕方ない」の一言で済ませていたでしょう。

 

 

客先で仕事中、会社の上司に呼び出される

上司

お客さんから、おまえに対してクレームが来ている。おまえ大丈夫か?
このままクレームが来るようだったら、使用期限が終わる頃にクビだからな

 

と言われるのでした。

更に頑張ろうとするが、どう頑張って良いかわからない。

空回りし、さらに失敗を繰り返し、お客さんから

 

お客さん

おまえ役に立たない、帰れ

 

と言われ、会社に戻ることになった。

お客さん先がある大森駅から池袋にある会社までの道のりは、とてつもなく長く感じた。

会社に戻ったあとは、上司、部長から「おまえふざけんな」の嵐でした。

 

部長に呼び出され、「自己都合」を勧められたが、「会社都合」にしてくれと揉める。

最終的にハローワークを巻きこんで「会社都合」による退職になったのだ。

 

■当時の振り返り日記

【日記】「解雇」と「自己都合退職」選ぶとしたら・・・

 

リーマンショックで再就職先が見つからない

人生初めての無職生活の開始。

リーマンショックのとき、エンジニア職でも、仕事が見つからないことが多かったのだ。お客さん先の契約打ち切りが多く、派遣元に返されるエンジニアも多かったのです。

 

リーマンショックのときは、2020年5月2日現在のようにエンジニアは不足どころか、余っている状況だった。

 

しかし、私は、ゲーム開発の仕事をしたいという夢があった。

よって、貯金を切り崩して、ゲーム開発(Webスキル)を学べる技術系のスクールに行くことにした。授業料60万円はかなり出費だったが、無駄では無かった。

 

 

えっ!?
システムエンジニアだったのになんでプログラミングスクールに行っていたの?
プログラミングならやっているはずだから、行く必要なくない?

 

筆者

私の前職は、C++言語とWindowsメインだったし、業務系ソフトの開発が多かったから、ゲーム開発者としては未経験と見なされていたんだ。

ゲーム開発でも、C++を使うけど、サーバーサイドを狙っていたから、LinuxやPHPなどのWEB言語の習得が必要になり、スクールに行くことにしたんだ。

 

半年後にブラック会社に就職

高いお金を払ってまで技術系のスクールに通っていたことが良かったのか、やっとの思いで、再就職することができた。再就職先は、エンタメ系のWeb開発の仕事もあり、面白そうだった。

 

しかし・・・以下のような仕事環境だった。

  1. 手取り12万円以下
  2. 終電まで仕事(残業代は出たり、出なかったり)
  3. 会社に寝ることも多かった
  4. 社長は切れやすく、怒鳴り声が響き渡る社風だった
  5. 次の日、隣にいた同僚が居なくなることは日常茶飯事だった

 

それでも、Webとやりたい分野の仕事だったので耐えることができた。

再就職後、9ヶ月後に、メンタルが体調不慮になり退職。

現在、その会社は無くなってしまったようです。

 

ブラック会社の経験がやりたいことができる会社に就職できた

夢がついにかなって、ゲーム系の仕事がやっとできるようになった。

転職活動を開始してから、ここに来るまでは、2年ほどかかりました。

 

社員数は、10人もいなかったが、仕事環境は自分に最も向いていた。

会社組織にいると言うよりは、開発が好きな人があつまって何かを作るというイメージだったため、自分に向いていたと思います。

チームで仕事をすることも多かったが、基本的に、打ち合わせ後は、個人プレイになるためか、仕事を進めやすかったと思います。

 

私は、スーツが嫌いだったので、これまで経験してきた会社よりも、最も働きやすかったと思います。

仕事内容は、ゲーム開発会社のプラグイン作ったり、Webシステムと・・・

 

とにかく、ずっとやりたかったことなので、うれしく感じた。

 

https://dream-target.jp/2020/10/15/web-programming/

最も言いたいことは「自分の特性を知ること」

まとめに入ります。

 

これまでいろんなことを書きましたが、最も言いたいことは、

「自分の特性を知ること」です。

 

自分の得意なところ、不得意なところを知った上で、興味があって、かつ、自分の長所を生かせる仕事に就くことができれば、仕事で人に喜ばれるようになります。

 

自分の特性に気付くまで、そして自分に合う環境を見つけるのは大変かもしれませんが、必ずどこかにあるものです。

 

私が新卒で入った会社の社長は、「嫌いな仕事、つまらない仕事でも一生懸命やれない人はダメ」なんて言っていたけど、私は、自分に合った仕事、興味が湧く仕事をやるべきだと思います。

 

特に、発達障害(ADHD)を持っている人は・・・